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オランダから悲しい知らせが届きました。
「ザ・マザー・オブ・ジプシー・ソウル」、リリヤナ・ブトレル(Ljiljana Buttler)が4月27日に亡くなりました。享年66歳。最後まで病と闘った彼女らしい、しかしあまりにも早い最後でした。 リリヤナ・ブトレルは1944年、旧ユーゴスラヴィア連邦共和国、現セルビア・モンテネグロの首都であるベオグラード生まれ。アコーディオンの名手である父と、クロアチア人歌手の母をもち、父親が家庭を捨てた後には、生活のためユーゴ中のカフェやレストランを歌ってまわった母親に連れ添うこととなりました。そして、12歳の時、ボスニア北西部の小さな町で歌とピアノのレッスンを始め、母親が病に倒れると、いつも母親が歌っていたレストランに出向き、自らが歌うことを申告。それが、彼女の歌手デビューとなりました。 カフェやレストランで歌い続けることになったブトレルは、客からの要求に応え、ジプシー音楽からジャズ、バルカンの伝統音楽、ポップス、ロシアのバラッド、クラシック、カントリー、ロックンロール、そしてセヴダといった、様々なレパートリーをこなしてきました。1969年には、ジプシー・ロマンスを彼女流のスタイルに味つけた最初のシングルを録音。70年代後半を頂点に、旧ユーゴの人気歌手にのし上がり、人々から「ザ・マザー・オブ・ジプシー・ソウル」と称されるようになります。けれども、それ以降、旧東欧が西側の影響を受けて、音楽の産業テクノロジー化が進行していくと、時流に流されることのなかったブトレルの人気は次第に衰えはじめ、ユーゴ解体前にはドイツのデュッセルドルフへ移住。歌手活動を停止してしまいした。 のちに再デビューを果たし、再びステージに立つようになった彼女は、旧友の音楽仲間にも、決してこのドイツで生活した時代のことを語りませんでした。強いて聞くと「子供を育てるのはたいへんなことだったのよ」と笑ってはぐらかしたそうです。 2000年に、モスタル・セヴダ・リユニオンのプロデューサーであるドラギ・シェスティッチが、モスタルの地にある両親の家で、チープなミュージック・テープから流れるリリヤナ・ブトレルの歌声を聞いて、彼女を捜し出し新たな録音をします。 ![]() 一度だけ、生で彼女のステージを見ました。バックはモスタル・セヴダ・リユニオン。気のあった仲間同士の楽しい演奏で、のびのびと歌う彼女は、思っていたよりもずっと明るく、堂々としたお下品な身振りで歌っていました。しかし、それは大衆に愛された「ザ・マザー・オブ・ジプシー・ソウル」の度量がなければ体現できないものでした。 20世紀の大きな時代のうねりに翻弄されながらも、自らの運命を必死に生きたリリヤナ・ブトレルの歌声を私は忘れません。 今、もし、彼女にそう伝えたら、「そうよ、必死だったのよ」と笑ってはぐかしてくれるでしょう。 MG
by information_ahora
| 2010-04-28 12:32
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